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 父の書斎からは、時々奇妙な匂いがした。悪臭と言ってよかった。もう少し匂いの濃度が高ければ、階下の住人から苦情が出ていただろう。しかし、ごくわずかなその匂いは、わたしにとっては父が同じ家の中で何かをしていることの証しであり、いうなれば心地よいものであった。

 その日も、父の部屋からは例の匂いがした。この匂いは、どうやって作られているのだろう? 父の書斎に出入りすることは禁じられていたが、わたしはどうしても確かめてみたくなった。

 書斎の白いドアをそっと開けると、父の背中が見えた。

 父は、白い丈の長い上衣を着ていた。しかしそれは、出かけるときに羽織っているコートとは違うものに見えた。光沢はなく、父の持っているどの服よりも白かった。父の好みの表れだろう、ふだん着ているワイシャツ同様きつめに糊が効いているようだった。
 その上衣を「白衣」と呼ぶことを知ったのはだいぶ後のことだ。

 父は楽しげだった。
 鼻歌さえ歌っていた。

 わたしと散歩に出るときよりもずっと楽しそうに見えて、わたしは少し不機嫌になった、が、そのまま父の様子を伺っていた。
父は、白い―白衣と同じくらい白い―小鉢に真っ黒何かのかけらを入れて、同じく白くて先のまるい棒でそれを挽いていた。
 棒を動かしたり、鉢のほうを動かしたり、しばらくすると父は粉になった黒いものをひとつまみ取り、指先ですり合わせ、わずかに頷いた。
    そして栗の実ほどの黄色い石を取り出し、机の上にある紙の上に置いて白い棒で叩いて割り欠片を先ほどの白い鉢に加え、同じようにすり潰した。
   机の上には茶色の奇妙な丸い箱があった。父は鉢の内容物をその箱に移し替え、さらに棚から大きめのガラス瓶を取り出し、ピンセットで瓶の中の白っぽい石をつまんで棚にある小さな天秤秤に載せた。首を傾げて石を取り替え、やがて天秤が水平になったところでそれを茶色の箱に加えた。そして先ほどの白い棒に代わって木のやや大きな棒を持ち出し、再びすり潰し始めた。

   父の様子がよく見えなくなって、わたしは身を乗り出した。

「覗き見は行儀が悪いですよ。用事のある時にはノックしてください」

   父が振り向かずにそう言って、わたしはビクリと身体を震わせた。すみません、と口に出そうとした時、再び父が口を開いた。

「ドアが開いたままだと、湿度が変化してしまうのです。お入りなさい」

   わたしはドアを閉め、部屋の中に入った。

   父の書斎に足を踏み入れるのは初めてだった。
  部屋の中は、壁も天井も机も窓枠もそこにかかるカーテンも白く、薬品や実験器具と思しきものの入ったガラス張りの棚も白く、ただ薬品や奇妙に光る石たちと、数えきれないほどの父の蔵書が色を持っているのみだった。

「おかけなさい」

   本棚の前に白い木製のスツールがあった。わたしは黙ってそこに座った。

   父は別のガラス瓶から透明な液体を試験管に注いだ。

「ただの蒸留水ですよ」

   そして目盛りを確認し、先ほどの茶色の箱にそれを注いで、木の棒で再びかき混ぜ、ふと首を傾げてそこにあった鉛筆を手に取り紙に何やら書きつけた。
やがて、箱を机に置き、同じ色の蓋をして、父は振り向いた。

「気温、湿度、不純物の割合……それらによって生成物の性質は微妙に変化してしまいます。そのこと自体が参考になると言えなくもないですが、科学においては再現性が重要ですから、検証したい事項以外の条件はできる限り同一にせねばならない。人間は熱源であり呼気には水蒸気が多く含まれますので、不確定性を増す要因になりやすいのです」

   わたしは再び謝ろうとした。が、父は続けた。

「おわかりいただければ結構です。禁止されればなお知りたくなる。神話の時代から当たり前のことを失念していました」

 そして腰に手をやって首を回した。

「私も少々根を詰めすぎてしまったようです。せっかくですから面白いものをお見せしましょう」

   父はガラス棚の所へ行き、大きな薬瓶から半透明の黄色い石を取り出した。 先ほど白い鉢ですり潰していたのと同じもののようだった。

「これは硫黄の結晶です。美しいでしょう。かなり不純物が少ない。 国内ではクレタ国境の火山からしか採れない貴重なものです」

  父はその結晶を人差し指と親指で挟み、窓からの陽射しにかざして見せた。

「黄色い石…と思っているでしょう。そうではないのです」

   父は再びガラス棚に行き、透明な液体が入った平たいガラス瓶と金属の板を取り出した。瓶の中には白い太い紐が入っている。
    机の上にそれらを置き、父はマッチでガラス瓶の紐に火をつけた。暗い青い炎が上がった。そして金属板に黄色い石を載せ、ペンチで板を挟んで炎にかざした。 
   しばらくするとジッと音がして、石が融け始めた。驚くことに、黄色い石は融けると血のように紅い液体になるのだった。父は私の表情を見て頷き、金属板を皿に置いてそこにマッチの火を近づけた。
   青い炎が上がった。
 
「硫黄の純度の高い結晶は黄色ですが、高温で融解すると紅い液体になります。それを燃やせば青い炎が出る…状況次第で一つの物質が様々な顔を見せる。美しい」 
 
   しかしすぐに父はその火を消した。理由はすぐにわかった。ツンと鼻の奥に刺激がきて、目が痛くなった。
 
「失礼。硫黄を燃やして発生する気体は身体によくないのです。硫黄は大変有用なのですが、その化合物は人体に悪影響を及ぼすことが多い。まさに等価交換の法則によく従っているとも言えますが」

   父は再びガラス棚へ行き、茶色い小瓶から小さな黒い粒を数個取り出して紙に載せた。そして金属板でそれを挟んで叩いた。
   小さな乾いた破裂音が響いた。それと共に時折嗅いだことのある腐臭がわずかに漂った。

「この匂いも硫黄由来のものです。私が先ほど作っていたものは最終的にはこうなります。まあ、実際には錬成しますけれど、出来上がりを想定しないで錬成などできませんからね。我々を魔術師と勘違いしている連中にはそれはわからないでしょうが……」

   そこまで話して父は口をつぐんだ。話し過ぎたと思ったのかもしれない。わたしはと言えば、父の言っていることがまるでわからなかったので、黙っていた。

「さて」

  父はわたしの頭に手を置いた。

「休憩は終わりです。日が暮れたら夕食に行きましょう。それまでは作業をさせてください」

  わたしは頷いた。何しろ初めて父の書斎に入ることができたし、よくわからない匂いの元を見ることができたーどうして臭いのかはさっぱりわからなかったが。

   リビングに戻り、わたしは久しぶりに絵を描いた。白い部屋の中で白い上衣を着た父が、黄色い石と紅い液体と黒い粒を自在に操っている絵だ。
   日が暮れるまで、わたしは飽きもせずに何枚もその絵を描いていた。 




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飽きもせず、って自分のことですがきんぱぱシリーズです。お題はずばり「白衣で実験してるきんぱぱ」w
元々激しい白衣萌えなのですが、キンブリーさんと言えば白スーツというわけで白衣を着せる発想が出てこなかった自分を激しく反省w そして化学ネタになったので実験描写がしつこくてすみません。趣味です。
キンブリーさんが乳鉢でゴリゴリやって作ろうとしていたのは黒色火薬です。黒色火薬が爆発すると硫化水素が発生するので臭いのでありますw
そして硫黄を燃やすと発生するのは二酸化硫黄でして、これは容易に水に溶けて硫酸になります。なので目や鼻にツーンとくるとw
それにしても硫黄って賢者の石っぽいなあ……硫黄は多様な化合物を作るそうなので歴史上の錬金術でもきっと大きな役割を果たしたのでしょうね。

2012.01.23 Mon l 二次創作 l コメント (0) l top

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