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 父、ゾルフ・J・キンブリーに引き取られてから数カ月が経った頃、街はすっかり真冬の装いとなっていた。
 とは言っても、わたしが家を出るのは食事のためにアパート近くの料理屋に行くときと、数日に一度の午前中の散歩だけで、その際はいつも父に手を引かれていた。

 いや、引かれていたというのは語弊がある。

 わたしはいつも自分から父と手をつないでいたのだ。

 父の手は父の顔と同じく、白く滑らかで、やや筋張った長い指の先の爪を、父は小まめに鑢で整えていた。冷んやりしたその指先に触れていても温もりが伝わってくることはほとんどないのに、なぜかわたしは必ずその手につかまった。  

 

「今日はよい天気ですね。外に出ましょう」

朝食の後父が言った。確かにここ数日冷たい雨が降って、街はいかにも陰鬱な雰囲気に覆われていたのだ。
いつものように父の手につかまり道を歩いていると、何だか雰囲気が違う気がした。ちょっと浮ついているような。
天気が良くなるだけで、こんなに皆嬉しいものなのだろうか。

しばらく歩いたところで、ふと父が立ち止まった。

「そういえば……」

 父は口元に手をやって少し考える仕草をしたあと、わたしの方を振り向いて言った。

「年が明けていました。新しいお茶を買いましょう」



 自宅に戻った後、父は早速買ってきた新しい葉でお茶を淹れた。
 父のティーカップは模様のないシンプルなものだが、口が大きくやや平たい形をしていた。

「血のように紅い。まさに紅茶と呼ぶに相応しい。美しく香り高い茶ですね」

 満足そうにつぶやいた後、父は立ち上がって戸棚から別のティーカップとソーサーを取り出し、わたしの前に置いた。
 それは、父のものと同じ形をしていたがやや小ぶりだった。父はそこにポットから先ほどのお茶を注いだ。

「貴女には、これを」

 そう言って、父は小さな角砂糖をひとつ、カップに入れ、銀色のスプーンでかき混ぜた。 
 わたしは差し出された茶を飲んだ。血のように紅いそれは、強い渋みと共にほのかな甘みがした。これがおいしいと言えるものなのかどうかは、よくわからなかった。
 父はわたしの表情にはお構いなく、自分の茶を飲んだ。わたしはカップの中の紅い茶と、カップを持つ父の白い長い指を見比べていた。

 

次にお茶を買う時にも、手をつないで外に出られるといいなと、ふと思った。






ーーーーーー
「お正月終わっちゃいました企画」という名のお題乞食をやったところ、私の性癖をよく知る方々からお題を恵んでいただきましたので喜んで書きましたの一つ目、「ニューイヤーを淡々と迎えるきんぱぱ」であります。指描写がしつこいのは自分の嗜癖です。
しかしティーカップとソーサーでサイズ違いのものって見たことないですね。日本の湯呑だと夫婦茶碗とかありますけども。まあ子供にはそもそも紅茶なんか飲ませないんだという話も19世紀くらいの小説にはザラに出てきますので不要ってことなのかな。今はどうなんでしょうね。
お題をくださったひづるさん、ありがとうございました!

 
 
2012.01.09 Mon l 二次創作 l コメント (0) l top

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