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 わたしには父が二人いる。
 わたしがこの世に生を受けることになるきっかけになった父、
 そして、
 わたしがこの世で生きていくことを決めるきっかけになった父だ。

 一人目の父の名をわたしは覚えていない。
 恐ろしい爆音と立ち上る土煙、破壊された建造物の瓦礫と殺された人々の血と臓物の匂い。
 そういったものが、それまで家族だった人たちの顔や名前をすべて、わたしの記憶から消し去ってしまったのだ。

 ゾルフ・J・キンブリー。
 「紅蓮の錬金術師」の二つ名を持ちながら、世間では「爆弾狂キンブリー」として忌み嫌われた男。
 そして、わたしの二人目の父。

 
 初めて会ったのはわたしが小学校に上がる前の年のはずだが、その日のことをわたしはきちんと思い出せない。無理に思い出そうとすると形容のできない音が耳をつんざき、生臭い臭いが鼻を刺し、割れるような痛みが頭を苛む。
 ただ立ち込める異様な空気の中で白いスーツを着た男がこちらを振り向き、一瞬眉をひそめたあとニヤリと笑ったのを覚えている。
 ゆっくりと近づいてきた男は言った。

「貴女は運の良い方だ。私は貴女を尊敬しますよ。運を自分に引き寄せるのもまた、一つの能力ですからね」

 だいぶ後になってから聞いたことだが、彼はその時、犯罪者集団のアジトを爆破するよう依頼を受けて実行していたのだ。非常線が張られて一般人は入ってこないはずだったのに、手違いで封鎖されなかった道を歩いてきたのがわたしと、家族だったという。
 家族は全員死んだ。
 死に顔は見ていない。おそらく形を留めていなかったのだろう。
 激しい衝撃に一瞬気を失ったわたしが次に目にしたのは、わたしを庇うように倒れていた母だった人間の、首のない死体だった。



 身寄りのないわたしは病院で手当てを受けた後、すぐに孤児院行きになった。
 孤児院でのことも、あまり覚えていない。
 たぶん、身体の大きな子供にどつかれ、わずかな食事を奪われ、意味もなく蹴り飛ばされたりしながら、部屋の隅にいたのだろう。
 わたしは、口がきけなかった。
 しかし、孤児院ではそんな子供は珍しくなかった。しょっちゅう奇声を上げたり、何かあるとすぐに部屋を出て走り回るような子供もたくさんいた。「先生」と呼ばれる職員の数は限られていて、粗相をした子供はひどく殴られた。わたしは大人に殴られた記憶はない。たぶん何も言わずただ座っているだけだったので、多忙な彼らにとっては都合がよかったのだろう。

 孤児院に来て二度目の冬が訪れようとしていた頃、とつぜん「彼」がやってきた。
 院長に何か書類と、懐から銀色の時計を取り出して示した。そしてなおも訝しむ院長に、小切手帳に何事か書き込んでちぎって渡した。
 あっという間に院長の表情が変わったのが見えた。

 その日から「彼」はわたしの「父」になった。




 父はわたしのみすぼらしい身なりが気に入らなかったらしく、表通りの洋服店に私を連れて行き、上等な子供服を何枚も購入した。そして同じ通りにある美容院に入り、「このひとにいちばん似合う髪型」を美容師に要求した。
美容師は怪訝な顔をしたが、父の上等な白いスーツを見ると孤児院の院長が見せたのと同じ笑顔を作り、丁寧に私の髪をシャンプーしてハサミを入れた。

しばらくするとそこには、孤児院で誰からも忘れられていたちっぽけな汚い子供、ではなく、注意深く育てられた引っ込み思案なお嬢ちゃん、が立っていた……見た目には。

「お腹は空いていますか」

 父が尋ねた。私は首を振った。本当はひどく空腹だった。孤児院の食事はいつもほんの少しで、それすらも年長の子供に攫われるのが常だった。しかし、ガツガツした意地汚い子供と思われたらまた孤児院に戻されるかもしれない。連れて行かれた店や、父自身の服装から、彼が品の良い振る舞いを好むことは想像できた。

「そうですか。しかし私は女性の買い物に付き合いましたので少々空腹です。食事にお付き合いいただけますか」

 買い物に行ったのは自分の都合のくせに、変なことを言う人だと思った。それが彼の本心だったのか気遣いだったのか、今でもわからない。
 小ぢんまりした静かな店内での食事はひどくおいしかった。つまり、結局わたしは父の提案のままに料理を注文して全部平らげたのだ。




 父の自宅は繁華街からはずれたところにある質素なアパートだった。人通りの少ない寒々した道沿いの、窓の少ない建物。

「どうぞ。今日から貴女はここで暮らすのですよ」

 ドアを開けるとそこは思いのほか広く、部屋がいくつもあった。

「この部屋は東向きですから貴女に適しているでしょう。私は朝日を好みませんし」

 私に与えられた部屋には、ベッドと机、椅子、小さなサイドテーブルがあった。

「これから必要に応じてものを揃えていけばよいでしょう。私の寝室は隣です。その向かいが書斎です。書斎は本や薬品が多いですから、貴女は入ってはいけません。一番奥が居間、食堂、台所、風呂です」

 父は国家錬金術師だった。自分の研究した成果である錬金術を、大衆のためではなく国家―実態は軍―のために使う。
 父の錬金術は軍にとって有用なものであるらしく、父にはしばしば呼び出しの電話がかかってきた。すると父はお決まりの白い三つ揃いを着て帽子をかぶり、でかける。それを彼は「仕事」と呼んでいた。
 父はたまにその白いスーツを血や土で汚して帰ってくることがあった。そういう日は見るからに不機嫌で、帰るなりクリーニングサービスに電話をかけ、汚れた服の洗濯を依頼していた。
 わたしも父の汚れたスーツを見るのは嫌だった。自分の一番はじめの記憶が呼び起されるからだ。吐き気を催して、部屋で布団をかぶる。

 ある時、父はわたしが汚れたスーツを見て気分が悪くなっていることに気が付いた。父はわたしに謝った。そして、自分が不機嫌になる理由も語った。

「……それに、服を汚すのは私の意図にもそぐわない。自分の仕事が完璧なものではなかったという証拠だからです」

 そして、汚れた服を着て帰ってくることはなくなった。朝着ていたのと違う真新しいスーツで父が帰ってくる時、それは忌まわしいものでスーツが汚れてしまった日なのだった。




 父との暮らしが始まってから一年ほど経っても、わたしは言葉を発することができないままだった。父はそのことについて何も言わなかった。が、ある時ふと言った。

「文字を読んでみたいと思いますか?」

 わたしは頷いた。実は、簡単な単語を読むことはできた。たぶん事故に遭う前の家庭で覚えたのだ。孤児院にもごくわずかだが子供向けの本があって、内容を全部覚えるほど何度も読んでいた。もっといろんな本を読めるようになりたいと思った。そうしたら、今は入れない父の書斎に入り、錬金術の本を読んで、父の手伝いをできるかもしれない。そう思うと、なぜかわくわくした。

 本屋で数冊の本を購入した後、父はわたしを連れて文房具屋に寄った。

「読めるようになったらおそらく自分でも書きたいと思うようになるでしょう」

 そう言いながら父はわたしにノートと鉛筆を与えた。父の言うとおりだった。買ってもらった本を何度も何度も読んだあと、わたしはその中で気に入った物語をノートに書き写した。そしてそれだけでなく自分の考えた話や思ったことをノートに書きつけるようになるまでにはそれほどかからなかった。

 わたしは父にそうやって書いた作り話の一つを見せた。父はいつものようにあまり表情を変えることなく顎に指をやって読んだ。そして言った。

「大変興味深い。続けなさい。貴女が自分の『仕事』を持ちたいと思うときに、それは役立つでしょう」

 自分も父のように「仕事」を持つ日が来るのだろうか。その時初めてわたしは、自分の将来のことを考えた。

 何年かぶりに「おはよう」という言葉が口から出たのは、その次の日のことだった。




 父は自宅で料理をする習慣がなかった。昼食と夕食は近所の店に一緒に行って食べた。朝食はパン、チーズ、牛乳。父はしばしば書斎にこもって夜になっても出てこなかったので、そういう時は残り物のパンかリンゴをかじって寝た。

 近所には親切な老夫婦がやっている料理屋があり、父が仕事で家を空けるときにはそこで食事をした。父は前もって十分な食事代を渡していたらしく、代金を請求されることはなかった。老夫婦は父のことはあまり好きでないようだったが(父は慇懃な話し方をするが基本的に世間話のような、要件と関係のない話をしないのでとっつきにくいのだ)、子供好きだったようでわたしのことはかわいがってくれた。

 父は食事のマナーにはかなりうるさかった。また食材や調理方法についての知識も豊富で、聞けば必ず答えてくれた。そんなに詳しいのに自分では料理をしないのはなぜだろう、と時々思うほどだった。

 いつもでかける本屋である時わたしは料理の本を手に取った。それを欲しいと言った時、珍しく父が目を丸くしたのがおかしかった。

 父が料理の材料を買うことも許可してくれたので、わたしは台所に立つことができた。始めにやったことはコンロとオーブンの調整だったが。

 供した料理は、本に書いてある通りの分量で作ったので、父とわたしとで食べるには多すぎた。しかし父は基本を知らなければ応用はできないと言って、次の日もその料理を温めなおして食べた。

 料理を作ることが父に否定されなかったのでわたしは嬉しくなり、毎日台所に立つようになった。本を読む時間、ものを書く時間、学び始めていた計算をする時間は減っていた。しかしある時、久しぶりに読んだ本が面白く、料理をするのを忘れてしまった。わたしは帰ってきた父に、料理を作っていなかったことを詫びた。すると父は言った。

「貴女は、料理をすることを自分の仕事だと思っているのですか」

 わたしは驚いた。父がわたしの料理の腕が上がることを評価しているのは知っていたし、父が外で仕事をしているのなら、わたしも家の中で自分の仕事を作ろうと思っていたところだったからだ。

「私は貴女が趣味として、好奇心発現の一環として料理をするのはよいと思いますが、それが仕事だと考えるのは評価しません。世の中には仕事として家庭内で料理をする方は多くいますが、その方々は家庭の収入から料理に使える費用を考え、その範囲でどのような料理を作るかを考えています。しかし貴女が今行っているのは単なる思い付きです。思い付きでいろいろなことをするのはかまいません。様々な知識と技能を身に着けることは非常に重要ですから。しかしそれは仕事ではない。したがって貴女は今謝罪する必要がないのです」

 謝らなくていいと言われているのに、逆にわたしはなんとなく悲しい気持ちになった。父の言っていることはいつも正しいのに、なぜか時々わたしは悲しい気持ちになってしまう。

 結局わたしたちはまた、近所の料理店で食事をとる暮らしに戻った。




 いろいろと本を読んでいるうちに、もっと知りたいと思うことが増えた。やってみたいと思うことも、そして何か「仕事」をしたいと思うこともまた増えた。そんなある日、父が言った。

「来月から、学校に行っていただきます」

 学校の存在は知っていたが、そこに行きたいと思ったことは一度もなかった。孤児院の凶暴な子供のことが頭に浮かんだ。

「心配する必要はありません。全寮制の小規模な女子校です。学費、寮費、経費の類はすべて払い込んであります。それから、銀行に貴女の名義の口座を作ってありますから、もし必要が生じた場合はそこから引き出してください」

 驚きで固まったままのわたしに向かって父は続けた。

「来月から私は『仕事』のためにイシュヴァールへ軍属として赴くことになりました。これまでのように数日で終わる仕事ではありません。かなり遠方ですし。この部屋は封印します。貴女も入ってくることはできません」

 わたしに反論する権利はなく、父はわたしに意見を求めるつもりはなかった。

 それからしばらく、わたしたちは以前とあまり変わらない日々を送った。仕立て屋で学校で着るための服を何枚か注文し、指定の鞄や筆記用具を購入した。

 父は気分が高揚しているようだった。同居する娘のことではなく、おそらく今度赴任する地での「仕事」に期待しているようだった。

 父が赴任を心待ちにしているイシュヴァールとはどんなところなのか、興味を持ったわたしは通りの売店で新聞を買った。「殲滅戦に国家錬金術師を投入」とあった。

 殲滅とはどういうことか。辞書を引き、言葉の意味はわかったが、そこで父が何をするのかはよくわからなかった。だがそこでもこれまでのように、依頼された「仕事」を「完璧に」「美しく」やり遂げようとするのだろうと思った。




 わたしが学校の寮に入ったのは、父が出立する前日だった。

 見送りをしたいと思っていたが、「その必要はありません」と簡潔に断られた。

「私は仕事をしに行くだけですよ。そこで運が悪ければ死ぬし、そうでなければ生きて戻るでしょう。それだけのことです。初めて会った日、貴女は大きな災厄に見舞われながらも生き延びていました。私はその事実を尊重したいと思いました。貴女はこれからさらに学び、自分の仕事をみつけ、それをやり遂げるでしょう。私もそのつもりです」

 校門から寮までの長くない道のりで、父はそう言った。ふと、この人は、わたしのことを娘とは思わなくとも、同じ思いを共有する者として扱っているのだと思った。未だに、父の「仕事」が実際には何をすることなのか、どうしてそれを選んだのか、わたしは知らなかった。けれども、自分もまた、何かしら「やり遂げる者」として生き延びていきたいと思った。




 寮の入り口で寮母にわたしを引き渡し、父は立ち去った。実のところ、それまでに父に「おとうさん」と呼びかけたことは一度もなかった。

「おとうさん」

 叫んだつもりだったが実際は小さな呟きが出ただけだった。

 父は振り向かずに歩きながら、被っていた白い帽子を軽く掲げた。






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Twitterで「キンブリーさんに娘がいたら」という話が出て激しく萌えてしまい、勢いで書きました。その割にやたら長い……。
過去捏造どころかもうほとんど自分の脳内キンブリーさん話です。
原作18巻あたり読んでるとキンブリーさんの見事な悪役っぷりに感動するわけですが、エドたち子どもに対して上から目線じゃない数少ないオトナだったり。
もう大好きですキンブリーさん!

 

 
 
2011.12.18 Sun l 二次創作 l コメント (0) l top
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